ケーススタディ:下顎の痛みを訴える患者さん
患者さんは75歳の女性。明け方より下顎左側と左上腕に痛みがあり、午前中に歯科医院を受診しました。高血圧症、糖尿病、狭心症の既往があり、降圧薬および血糖降下薬を服用していました。
口腔内を診査しましたが、う蝕や歯周疾患は認められず、またエックス線写真でも異常所見はありませんでした。
患者さんへ特に異常は認められないことを説明し、経過観察のため次回の予約を取得しようとしたところ、担当医は患者さんが冷汗をかいていることに気が付きました。
症状を確認すると気分が悪く、吐き気もあると訴えました。チェアを倒し、患者さんを水平位にしようとしましたが、「息苦しいため座ったままがいい」と言いました。
すぐに歯科衛生士に生体モニタを持ってくるよう指示し、血圧計、パルスオキシメータ、心電計を装着し、測定を開始しました。
急性冠症候群の病態
患者さんの症状、および生体モニタの情報からどのような病態が考えられるでしょうか。
下顎左側と左上腕に痛みを主訴に来院され、気分不良、吐き気もあります。それに加え、心電図でST部分が上昇していることから急性冠症候群が疑われます。
心筋に血液を供給している動脈を冠動脈といいます。
急性冠症候群(Acute Coronary Syndrome:ACS)とは冠動脈に蓄積したアテローム(動脈の内膜にコレステロールなどの脂肪がたまって、ドロドロとした粥状になったもの)の突然の破裂が引き起こす一連の臨床症候群のことで、急性心筋梗塞や不安定狭心症が含まれます。
脂質に富み、薄い線維性被膜を持つアテロームが突然破裂すると、同部に血小板が凝集して血栓が形成されます。血栓により冠動脈が完全に閉塞すれば心筋梗塞、不完全な場合は狭心症となります。
診断のポイント
患者は高齢で高血圧症、糖尿病、狭心症の既往がある
高血圧、糖尿病、喫煙、家族歴、脂質異常症は急性心筋梗塞のリスクファクターです。また心筋梗塞発症時の年齢は男性が平均65歳、女性は平均75歳と報告されています。
下顎や上腕に痛みが認められる
急性冠症候群の症状は胸の中央部で数分間(2~3分以上)持続する不快な圧迫感、絞扼感、疼痛などです。患者が痛みを訴えなくても、圧迫感や絞扼感(胸が締めつけられる、または胸に重いものが乗っているような感じ)を訴える場合は急性冠症候群を疑います。
また胸部ではなく肩、頸部、腕、背中、顎などの痛みや不快感として症状が出現することもあり、それらに加え、めまい、失神、冷汗、嘔気などを伴うことも報告されています。
※急性冠症候群など心疾患によって生じる歯痛を「心臓性歯痛」といいます。
心電図ST部分に変化が認められる
ST上昇が認められれば心筋梗塞(または冠攣縮性狭心症)、ST低下が認められれば狭心症が疑われます。モニタ心電図でST上昇を認めた場合、できるだけ早期に12誘導心電図を記録することが重要です。
(a)正常な心電図波形:ST部分と基線は同じ高さにある。
(b)急性心筋梗塞の心電図波形(ST上昇):ST部分は基線より高い位置にある(赤矢印)。
急性冠症候群の対応法
- 119番通報し、再灌流療法(血栓溶解療法や冠動脈へのステント留置)が実施可能な施設への搬送を最優先する。
- バイタルサインをモニタリングし、心停止時には心肺蘇生が実施できるようAEDやポケットマスクなどを準備する。
- 呼吸困難である場合、心不全の明らかな兆候を示す場合、SpO2が90%未満または不明の場合は酸素投与を行う。酸素投与量はSpO2が90%以上となるよう調節する。
※低酸素血症のない患者への酸素投与の有効性は否定されています。
- 患者に最近の消化管出血やアスピリンアレルギーの既往がなければ、アスピリン160~325mg(バイアスピリン® 錠100mg 2~3錠、バファリン配合錠A81® 2~4錠)を噛み砕かせて服用(咀嚼服用)させる。
- 虚血による胸部症状を認める場合、禁忌でなければニトログリセリン舌下錠(ニトロペン®舌下錠0.3mg)1錠投与、またはスプレー(ミオコール®スプレー0.3mg)1回の舌下噴霧を行う。
・収縮期血圧90mmHg未満
・著明な徐脈(心拍数50回 / 分未満)または頻脈(心拍数100回 / 分を超える)
・ホスホジエステラーゼ阻害薬(勃起不全治療薬:バイアグラ®錠など)の最近の服用
・下壁および右室梗塞
急性冠症候群は命に関わる重篤な病態であるため、歯科医院で発症した場合は必ず119番通報し、速やかに再灌流療法が実施可能な高次医療機関へ搬送する必要があります。
歯科医師は急性冠症候群の患者が歯痛を主訴として歯科医院を受診する可能性があることを認識し、その初期対応について理解することが重要です。
AneStem YouTube でも急性冠症候群について詳しく解説しております。